家づくりこぼれ話!
こんにちは
建物と土地とお金のプロ菅原です。
和室をどうしますか?
・和室の伝統とデザイン
・数寄屋が教えてくれるもの
和室をつくらない家が、
少しずつ増えているようです。
家を建てる時に
「できれば和室がひとつ欲しい」
という要望も、
ちょっと前であれば
ほとんどの人から聞かれた声でした。
ところが、
「和室をやめて、その分リビングを広くする」
人が増えているのです。
でも和室は日本人の心の支えでもあります。
「和室」という空間について考えてみました。
数寄屋が教えてくれるもの
今の建設会社に
本格的な和室をつくりたいと
お願いすれば、
多くは数寄屋風の
和室になると思います。
住宅の工業化が進むことと、
数寄屋の造作は本来
相性の良いものでした。
現代の和室を造作する部品の数々は
数寄屋風のものが多く、
私たちもそれが
本格的な和室であると感じています。
しかし本当の伝統を調べると、
書院造が格式のある和室です。
数寄屋は、
書院造の伝統を約400年前に
壊すところから始まったものです。
400年の年月と作法が
定着することで、
私たちは数寄屋をすっかり
本格や伝統と感じるようになったのです。
もともと数寄とは好き者の意味で、
ややもすれば変わり者と
いわれかねないほど、
新しいことに挑戦してきた者たちです。
ワビ・サビの感覚も、
格式よりも、侘しいもの、寂れたものに
価値を見だそうとしたものです。
本当は厚い天井板を使いながら
薄物の材を使っているかのように細く見せ、
古びれて現れたシミも
趣向を求めました。
さらに茶の湯の普及とともに、
「市中の山居」として小間の茶室が
愛でられるようになると、
現代に通じる和室の形が生まれてきます。
その代表格がこれまでにも
テーマにしてきた床の間です。
本来の床の間の前身は
室町時代の押板です。
三具足を置くのが原則です。
三具足とは、
香炉と燭台と花器です。
この三具足は、
鎌倉時代以前から押板の前身となる
壁面にかけた仏画の前の
机に置かれていました。
室町時代には押板によって
格式が上がりましたが、
この格式を数寄屋が壊して、
簡単な床の間に変えました。
その床の間の使い方で、
象徴的な話が残っています。
公家の山科家にいた
数寄者の大沢久守は、
新しいスタイルの床の間に、
飯びつや馬樋を置いて
飾っていたそうです。
とても正式な押板に
飾れるものではありません。
書院や違い棚を凝らさない
簡素な床の間では、
数寄の趣向で考えられる
新しいことへの挑戦ができたのです。
また千利休の弟子である古田織部は、
茶室の壁に小さな床板を
埋め込んだだけの織部床を考案しています。
私たちが現代の数寄者となれば、
もっと自由に和室的な空間を
使いこなしてよいのです。
400年前の自由な数寄者の感覚は、
アメリカ人のガレージとも大差ありません。
おうちのはなしからでした
では、では。
「家づくりを通じて、
ご家族が幸せになるお手伝いをする」
私の使命です。